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表筒男神 | うわつつのおのかみ | 開運の神 |
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中筒男神 | なかつつのおのかみ | 交通の神 | |
底筒男神 | そこつつのおのかみ | お祓いの神 | |
神功皇后 | じんぐうこうごう | 安産の神 |
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宇迦之御魂神 | うかのみたまのかみ | 商売繁盛の神 |
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誉田別命 | ほむたわけのみこと | 産業の神 |
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罔象女神 | みつはのめのかみ | 水を司る神 |
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少彦名命 | すくなひこなのみこと | 医薬の神 |
当地は親子で神様がいらっしゃる・・・あるいは子供の神様がいらっしゃる・・・とした伝承が実に多く残されています。
これは、住吉神(祖神)と八幡神(皇子神)をお祀りしていることに由来していると考えられます。
当神社の前身は正八幡宮だったとされており、当時のご正殿には八幡三神(応神天皇・神功皇后・比売大神)がお祀りされていたと伝わります。
とりわけ神功皇后と応神天皇は親子の間柄にあって、現在の当地も両神が並んだ状態で御社が建ちお祀りされています。
当地は住吉神社創祀の前から、応神天皇と神功皇后のこうした親子神信仰が、人々に深く根付いていたと考えられます。(多くの言い伝えはこれを裏付けています)
また、八幡神を祀る御社は「若宮」と称されることも多く、当地の若宮の名称は、皇子神の八幡神を讃えたことに因んでいる可能性もあります。
当神社のご正殿前に、2対の狛犬が並んでおり、この狛犬は親子であると伝わります。
神社に2対で狛犬が並ぶ事例はほとんどない上、親子と伝わるのも非常に珍しく、まさに当地の親子神の伝承と符号します。
当地は、親子の結びつきの強い聖地といえ、「安産祈願」に始まり、「お宮参り」「七五三参り」「十三参り」など、子供にまつわる大いなる御神徳をお持ちだといえましょう。
当神社の起源は、武家出身の支配者・平家の氏神・厳島神社の創祀と伝わります。
後に、武門の棟梁・源氏の氏神・八幡宮が当地に創祀されます。
当地は源平双方に、深い関わりをもってきました。
また、住吉神も三韓征伐(参照:下欄「神功皇后について」)のくだりにあるように、航海・武運に最高位の御神徳を有されます。
大坂夏の陣で徳川 家康方に与し、戦勝を祝して当神社が創建された経緯も垣間見え、武運には盤石な経緯を有します。
「武運の誉れの高い聖地」と、人々いわれる所以です。
住吉神は、神事にもっとも大切な御祓いを司る神(参照:下欄「住吉三神について」)であり、人々の罪や穢れ、土地や建物を清めるなどの御神徳を有されます。
「厄難」を祓う、不浄なところを浄化賜るなど、人々の生活や暮らしの中で、様々生じた不都合に対し、厄災を祓うことを願い出るには、最適の神様であらせられます。
当神社は、底筒男神、中筒男神、表筒男神の住吉三神と、神功皇后をご本殿にお祀りしています。 四柱の神様は、住吉大神と称されます。
神代の昔、伊邪那岐神(いざなぎのみこと)が、伊邪那美神(いざなみのみこと)がお亡くなりになったのを嘆き、黄泉の国(死者の国)まで追っていかれました。
この際に、伊邪那岐神は死者の国の穢れを受けてしまわれます。
この穢れを祓い清めるために、伊邪那岐神は海に入って禊をされました。
この禊のときに、住吉三神はお生まれになられます。
こうした清めの禊からお生まれになった住吉の神様は、各々の神社にあっても最も重要な、お祓いを司る神様と崇拝されています。
神功皇后は、第14代中哀天皇の皇后様です。
中哀天皇とともに、熊襲征伐の折に住吉三神からご神託をお受けになりました。
住吉三神のご神託・教えを守った皇后様は、住吉三神を守り神にし、自ら軍を率いて新羅への征伐に赴かれました。
このとき皇后様は第15代応神天皇を身ごもられていましが「吾和魂は玉身の寿命を守り荒魂は軍船を導かん」とした住吉三神の御加護を受け、和魂は応神天皇を宿した皇后の御身を守り、荒魂は皇后軍を導きました。
新羅王は恐れをなして抵抗せず、朝貢を誓って服従します。
住吉大神は、偉大なる武勇のご神徳を有され、さらに神功皇后は帰国後無事に応神天皇を御出産されたことから、大いなる安産の御神徳をお持ちであります。
この遠征の後、神功皇后は住吉三神の御神託を受けて、摂津の地に住吉大神を創祀されました。
この創祀は卯年・卯月・卯日になされ、当神社の創祀もこの故実を継承しています。