若宮 住吉神社-若宮と称えられた「住吉神社」

若宮と称えられた「住吉神社」
住所: 大阪府豊中市若竹町1-22-6 : (06) 6863-0025

若宮 住吉神社について

正保五年(1648年)、上総国飯野藩の陣屋が当神社の氏地に設けられます。

飯野藩城主・保科正貞が大阪定番となって、摂津国で石高の加増を受けたことによるものです。
小曽根郷里にあった住吉神田は、江戸時代には大阪所司代の支配下に属し、正保四年(1647年)保科弾正(正貞)の治下に入ります。

当地には、飯野藩から寄進をうけた、手水石や燈籠がのこされ、当時の痕跡を残しています。

陣屋は当神社の氏地「浜」に立地していたことから、関係性は深かったと思われますが、記録に徴するものなどなく、委細は残念ながらわかっていません。

文政四年(1821年)に、当地に福寿院という宮寺が建立されます。

福寿院は、岡山・津山城主・森忠正の内室、大蔵姫の法名が福寿院だったことに由来します。

大蔵姫は南郷今西家36代春房の長女で、母は明智光秀の令嬢にあたります。
津山に嫁いで亡くなり、死後、眞影を添えて今西家に送られ、後、石塔を当地に遷して宮寺となりました。

明治に入り、廃仏毀釈により廃寺となりました。

当地の石燈籠は、すべて江戸年間に奉納を受けたものが現存し、貴重な姿を今にとどめます。

また、明治~昭和初期には、鳥居、玉垣、搖拝石碑など、数多くの寄進を受けました。

集落の長や崇敬者の名々が刻まれています。

当時のことを、「崇神の念深厚なり」として記録されています。

戦後は、様々な受難が襲い、当地は数度の罹災にあうなど、多々苦境の状況が続きました。

当地は荒廃した時もありましたが、その都度氏子・崇敬者の有志が立ち上がり、見事な再建を果たしてきました。

昭和の終わり頃から、現在の社殿の再建がなされ、その後境内整備、社務所の再建も果たして、現在の姿となっています